腸内環境改善機能


ヒトの腸管には1000種、100兆個に及ぶと考えられる数多くの細菌が住み着き、

腸内細菌叢、あるいは腸内細菌フローラ(マイクロビオータとも呼ばれる)と呼ばれる一群の微生物相を形成しています。

 

腸内細菌叢がヒトの生体に及ぼす影響に関しては、従来から専門家の間で活発な議論が交わされて来ました。

しかしながら、夥しい数と種類の腸内細菌の中で人工的に培養できる種類はほんの一握りであったため、

腸内細菌が果たす役割に関しては推測の域を出ない事例が多かったのが事実です。

 

このような状況が激変したのが2010年頃で、

腸内細菌を個別に培養するのでは無く、腸内細菌叢全体のDNAを網羅的に解析する手法が考え出され、

これらの手法を用いて世界的規模で研究が大々的に行われた結果、

これまでおぼろげだった腸内細菌叢の全体像が急速に明らかになって来ました。

 

ここでは食の機能性との関連において、腸内細菌叢の役割を述べたいと思います。

分類学のお話


腸内細菌について話すときに欠かせないのは、分類学に関する基本的な知識です。

分類学の知識を欠いたまま腸内細菌についてお話すると大きな誤解が生じる可能性がありますので、

まずは分類学の原理原則に関して簡単に説明します。

 

分類学は、地球上の全ての生物を何らかの共通項に基づいて網羅的かつ科学的に体系づけようとする試みです。

このような体系づけを最初に試みたのがスウェーデンのリンネ博士で、18世紀の事です。

遺伝子の概念がなかった当時は、生物の外観や構造の共通性に基づいた分類が行われました。すなわち「表現型に基づく分類」です。

その後19世紀になり、メンデルによる遺伝子の概念とダーウインによる進化論が浮上すると、

生物の外観のみに基づいて分類を行う事の限界が明らかになってきました。

このような状況を根底から変えたのがワトソン博士とクリック博士で、20世紀半ばの事です。

両博士によって「遺伝子の実体はDNAであり、表現型はDNAの支配下にある」事が完全に証明され、

以来、分類学においては「遺伝子型に基づく分類」が「表現型に基づく分類」に取って代わる事となりました。

 

このような事情は腸内細菌の分類に関しても全く同じで、

当初は細菌の外観、行動様式、生化学的性状、菌体の物性などに基づいた分類が行われていました。

表現型に基づいた分類を行うためには細菌を分離~培養する必要がありますが、

腸内細菌は現在においても培養が不可能なものが大部分ですので、

つい数年前までは大多数の腸内細菌は「無戸籍」の状況に置かれていました。

 

現在の分類学は

遺伝子的な距離~共通項に基づいて行われます。

ヒトを例に取ると、遺伝子構成は個人個人で異なりますが、

ある括りでみると、集団としての共通項が浮かび上がります。

A集団の共通項とB集団の共通項の違いが大きい場合、

しばしば集団としての表現型も異なります。

これが人種の差となって現れたりしますが、

表現型が似通っていても

遺伝子構成は大きく異なる事もしばしば見られたり、

逆もまたしかり、という具合で、

環境と遺伝との奥深い関係が見られます。

 

このような集団間の遺伝子構成の「差」の程度に基づいて

「仕分け」が行われますが、

どの程度の差であれば別の種類として分類されるのかは基本的に「任意」の問題であり、

分類を専門とする研究者間の「協議」によって決定されたルールに基づいて決められます。

従いまして、新たな事実によって従来のルールが改訂される事などは普通に見られます。

 

分類学の「仕分け」はピラミッド型の構造を持つ「階層」からなりたちますが、上位から下位にかけての各階層にはそれぞれ名称が付けられています。

最新の分類法によってヒトを仕分けすると、

真核生物ドメイン>動物界>脊椎動物門>哺乳綱>サル目>ヒト科>ホモ属>サピエンス種、

という具合です。

基本的には「種」がピラミッドの最底辺に位置しますが、そこからさらに分割したい場合などには「亜種」として分類する、といった方法も見られます。

 

2016年時において、最上階のドメインは、真正細菌、古細菌、真核生物の三つに分かれます。

ここでは真正細菌ドメインについて見ていきます。

 

真正細菌ドメインは多くの「門」で構成されますが、腸内細菌を述べる際に重要なのは、

「フィルミクテス(ファーミキューテス)門」、「バクテロイデス門」、「プロテオバクテリア門」、「アクチノバクテリア門」などです。

いずれも非常に多数の菌種を下位に含みます。

 

フィルミクテス門は多くの「グラム陽性菌」で構成され、乳酸菌はここに分類されます。

この仲間には、クロストリジウム属、納豆菌でおなじみのバシラス属、腸球菌として知られるエンテロコッカス属、

病原菌としても知られるストレプトコッカス属やスタフィロコッカス属などが含まれます。

バクテロイデス門は「グラム陰性菌」で構成される門で、ヒトの腸内細菌においてはフィルミクテス門と並ぶ一つの大きなグループを形成します。

この仲間にはバクテロイデス属の他に、プレボテラ属やフラボバクテリア属などが含まれます。

プロテオバクテリア門には大腸菌に代表される大腸菌群(エスケリチア属、エンテロバクター属、クレブシエラ属など)や、

サルモネラ属、シゲラ属(赤痢菌)、ヘリコバクター属(ピロリ菌)など、病原菌として有名な菌も含まれます。

アクチノバクテリア門は従来「放線菌」として分類されていたグループで、アクチノマイセス属、ミコバクテリウム属(結核菌)などが代表です。

ビフィズス菌はこのグループに含まれます。

 

「学名」は生物学の世界における共通語であり、分類学に基づいたルールによって規定され、

基本的にはラテン語の用法に従った言葉で表すのが一般的です。

ヒトを例に取ると、「ホモ・サピエンス」が現代人の学名となります。

正式にはラテン語の綴りを用いてHomo sapiensと斜体で表し、Homo が属名、sapiens が種名です。

このように属名と種名を用いて表す方法を二名法と呼び、リンネ博士によって提唱され、現在でも用いられています。

 

細菌の場合もヒトと同じです。

大豆麹乳酸菌で用いている乳酸菌を例に取ると、GABAを産生する菌はLactococcus lactis KN-1という菌ですが、

これはラクトコッカスと呼ばれる「属」に所属するラクチスという「種」に分類される菌である事を意味します。

最後のKN-1というのは「株名」と呼ばれ、正式な分類学上の名称とは意味合いの異なる名称です。

免疫賦活能を有するLactobacillus curvatus KN-40の場合は、ラクトバチルスと呼ばれる属のクルバータスという種である事を意味します。

KN-40は株名です。

分類学的名称が混乱を招く腸内細菌の世界


DNA分析による網羅的な腸内細菌叢解析の結果、

未だ分離~培養できない菌であっても、少なくともその「存在」が認められ、分類学的な「戸籍」が与えられるようになりました。

その結果、従来見積もられていた以上の細菌の種類と数が腸内に住み着いている事が分かって来ました。

同時に、コンピュータの進歩によって、これら極めて多様な細菌群を網羅的に解析する事ができるようになった結果、

多くの興味深い事実が明らかとなってきました。

例えば、先進国と途上国では腸内細菌叢のパターンが事なる事や、同じアジアであっても主食の違いによってパターンに違いが見られる事、

さらには食事内容だけでなく、抗生物質の使用状況によっても腸内細菌叢のパターンに大きな変化が見られる事、などです。

 

これらの違いは食事内容や社会状況、生活習慣などの差が腸内細菌叢のパターンの違いとなって現れていると考えられますが、

パターンの違いに何らかの「意義」があるのか、あるいは食生活などの単なる「反映」に過ぎないのか、

現時点においては確かな結論を導くまでには到っておりません。

加えて、腸内細菌パターンは個人間の違いが大きく、食生活を一時的に多少変えたぐらいでははなかなか変化しない頑固さを有している事も、

従来から分かっている事実です。

 

一方で、最近のテレビ番組などの影響から、世間的には大きな早とちりが生じているように思われます。

特にバクテロイデス菌に関する誤解が目立ちます。

 

例えば、先進国と途上国間の腸内細菌叢のパターンを調べた報告では、

前者が「フィルミクテス門」の菌種が優勢である一方で、後者では「バクテロイデス門」の菌種が優勢であるとの事でした。

また、「フィルミクテス門」と「バクテロイデス門」の比率を調べた報告では、

脂質やタンパク質の多い食事をする人々の間では前者の比率が高くなる一方、

野菜や穀物主体の食事をする人々では後者の比率が高まる、との事でした。

これらの事から、一見するとバクテロイデス菌が多いと「健康な腸内環境」を意味するように捉えがちですが、そんな単純なものではありません。

 

ここで比較されているのは飽くまで「門」のレベルであって、属~種のレベルではありません。

 

例えばブルキナファソというアフリカの国の子供たちの間ではおよそ70%の菌が「バクテロイデス」に属しますが、

これらの菌の大多数は「バクテロイデス」の菌ではなく、「プレボテラ属」や「キシラニバクター属」に属する菌です。

反対に欧州諸国の子供たちの間では「フィルミクテス門」の菌が「バクテロイデス」の菌に比べて優勢ですが、

劣勢である「バクテロイデス門」の中での最優性菌は「バクテロイデス」の菌であり、全体の2割以上も占めるほどです。

バクテロイデス属の菌としてみれば、おかしな事に、欧州の人々の方がアフリカの人々よりも圧倒的に数が多い事になります。

 

 

腸内細菌を1)バクテロイデス属優勢型、2)プレボテラ属優勢型、3)ルミノコッカス属優勢型の三型に分類し、

食事内容~生活習慣の変化との関わりを調べた報告があります。

報告では、高脂肪~低食物繊維の食事によってバクテロイデス属優勢型が増加し、

逆に低脂肪~高食物繊維食によってプレボテラ属優勢型が増加する、との事でした。

そうなりますと、バクテロイデス属の菌は西欧型の高脂肪~低食物繊維の食事によってむしろ増加する菌、という事になります。

 

「バクテロイデス菌」という場合、基本的には、

真正細菌ドメインのバクテロイデス門>バクテロイデス綱>バクテロイデス目>バクテロイデス科>バクテロイデス属に属する菌を指します。

けれども先に述べたように、各階層ごとに様々な種類の菌を多数含みますので、

一口に「バクテロイデス」と言う場合、どの階層について述べているのか、注意が必要です。

 

最近になって、「バクテロイデス・フラジリス菌」による抗自閉症効果、肥満抑制効果、腸炎抑制効果などが報告されていますが、

いずれもネズミを用いて特殊な条件下で行われた実験によるものであり、単純にヒトがこれを飲めば同じ効果が出る、というものではありません。

医療関係者の間では、バクテロイデス・フラジリスと言えば、むしろ病原菌としてのイメージが強いかと思います。

バクテロイデス・フラジリスによる大腸ガン促進効果の報告もいくつかありますので、早合点は禁物であり、さらなる研究が必要な菌です。

 

バクテロイデス属には多数の「種」があります。

同じ「種」として生理学的~生化学的な共通項を保持するのは確かですが、さらに下位の階層である「亜種」あるいは「株」のレベルにおいて、

それぞれに特有の個性を有する場合も大いにあります。

「バクテロイデス・フラジリス」という言葉は「種」を表す学名ですが、

事によると、より下位の亜種や株の違いによって、上記のような相反する結果をもたらしている可能性も否定できません。

腸内細菌の多様性と疾患との関係


ヒトの腸内には、1000種、100兆個にものぼる腸内細菌が住み着いています。

国や地域によって、腸内細菌パターンが異なる事も分かってきました。

これらのパターンは食生活などの違いにより生じるものと思われますが、その意義に関して妥当な見解は未だに得られていません。

 

一方で、腸内細菌の種類の多寡と腸管由来感染症やアレルギーなどの疾病との間には何らかの意味ある関係があるのでは?

との見方が出てきました。

 

「途上国の子供達は先進国の子供達と比べて多くの寄生虫を抱えているにも関わらず、肌のつやが良く、アトピーなどとは無縁である!」

との観察結果に基づいてアレルギーと寄生虫との関係を唱えた学者が、藤田紘一郎博士です。

藤田博士の考え方は広い意味での衛生仮説に含めて良いと思いますが、腸内細菌叢の分析結果もこれを支持する方向に向かいつつあります。

先進国と途上国の子供達の腸内細菌パターンを比較すると、一般的に前者の方が後者よりも細菌種が少なく、

多様性に乏しい事が分かってきました。

同時に、アトピーや食物アレルギーなどの罹患率を両者で比較すると、圧倒的に先進国の子供達に多い事も判明しています。

 

このような先進国の子供達に見られる腸内細菌パターンの単純性の理由としては、

衛生環境の改善や兄弟数の減少、核家族化などが原因としてあげられますが、

出生時~幼少時における抗生物質の多用~乱用もまた、腸内細菌パターンの単純化に拍車をかけている可能性が指摘されています。

 

日本と東南アジアの子供達の腸内細菌を比べた報告によると、日本の子供達の腸内細菌はビフィズス菌が多くてガスの産生パターンも良いなど、

一般に大変きれいな腸内環境を持っているとの事でした。

しかしながら東南アジアの子供達と比べて腸内細菌の種類が少なく、多様性に乏しいという特徴があるという指摘でした。

日本と東南アジアの子供達を比べた場合、日本の子供達の方が圧倒的にアレルギーが多い事が明らかとなっています。

研究者らはこれを抗生物質の乱用に求め、抗生物質の幼少時の使用が腸内細菌種の多様性を損なう結果、

たとえビフィズス菌などの「善玉菌」が多くても、多くのアレルギーを引き起こす要因となっているのでは?と考えています。

 

腸内細菌パターンの単純化がなぜアトピーや食物アレルギーなどの疾患に結びつくのか、現時点では未だ不明ですが、

「旧友仮説」によれば、環境中の無害なアレルゲンに対して過剰な反応をしないように働く「旧友」たるべき細菌が抗生物質によって排除され、

その結果過剰反応が生じるのでは?との事です。

未だ確定的ではなく、また、その「旧友」そのものがいったい誰なのか全く分かっていませんが、

先進諸国の人々の間で見られる腸内細菌叢の多様性の乏しさと食物アレルギーに代表される各種疾病が増加し始めた時期が

抗生物質の使用時期に重なるなど、状況証拠も増えつつあります。

 

また、腸内細菌の構成が複雑であるほど腸管感染症に対して強い抵抗性を示す事が、動物実験などから明らかになっています。

無菌の環境下で帝王切開によって取り出され、その後も無菌環境下で育てられた無菌マウスと呼ばれるマウスでは、

極々わずかな数の病原菌の接種でも致命的な感染に到ります。

無菌マウスでは免疫系も未成熟ですので、この結果はそのせいかも知れません。

と言う事で、抗生物質を飲ませて腸内の細菌叢を排除したマウスにある種の病原菌を経口的に接種する実験も行われています。

この場合もやはり、通常であれば完全に排除されてしまうような少数の菌数の接種でも、たちまちに腸管の生活環境を独占して増殖し、

最終的に重篤な感染症を引き起こす結果となりました。

この場合は免疫系は十分成熟していますので、極少数の病原菌による感染が腸内細菌叢の破綻によって生じた事の証明となります。

 

ヒトにおいては、クロストリジウム・ディフィシル菌による偽膜性腸炎が有名です。

クロストリジウム・ディフィシル菌は比較的ありふれた菌としてヒトの腸管内に存在していますが、普段はその数も少なく、目立つことはありません。

しかしながら、抗生物質の投与によって他の菌が死滅する事によって増殖し、偽膜性腸炎と呼ばれる症状を引き起こしてしまいます。

糞便移植と、その可能性


最近になって、クロストリジウム・ディフィシル菌による偽膜性腸炎の治療法として、糞便移植と呼ばれる方法が脚光を浴びるようになってきました。

糞便移植とは、

クロストリジウム・ディフィシル菌による偽膜性腸炎に悩んでいる患者に他の健常なヒトから採取した糞便を肛門から移植する事によって

患者の腸内細菌叢を丸ごと入れ替えようとする、相当にダイナミックな試みです。

成功率は非常に高く、89割の患者が治癒した、との驚くべき報告もあります。

 

糞便移植の方法は骨髄移植と似たところがあり、基本的に対象となる患者の腸内細菌叢をあらかじめ抗生物質などで叩き、

その後に健常者の糞便を(基本的に)丸ごと肛門から移植します。

ドナーの糞便には病原菌などが存在しない事をあらかじめ調べておくのは当然です。

 

糞便移植で意義深い点は、糞便を丸ごと投与するという一点に尽きます。

恐らく、糞便移植で鍵となる菌が存在すると考えられますが、現時点では、それ、あるいはそれらの菌が何であるのか、皆目分かりません。

また、鍵となる菌以外の菌もまた援護射撃的な働きをしているのかと思いますが、そのメカニズムも分かっていません。

従いまして、今後の研究の方向性としては、鍵となる菌を見つけ出し、その他の菌や宿主との相互作用を解明する、という事になります。

また、どのような健常者からの糞便が良く、どのタイプのヒトのものは駄目なのか、その差はどこにあるのか、

移植に適した「良い糞便」を有するヒトはどのようなものを食べ、どのような生活習慣を送っているのか、なども刺激的なテーマです。

 

これまで、糞便移植はもっぱらクロストリジウム・ディフィシル菌による偽膜性腸炎の治療法として用いられているばかりですが、

原理的には腸内細菌叢の変調がもたらす疾患、例えば潰瘍性大腸炎など、にも応用できると思われます。

また、旧友仮説によれば、幼少時の抗生物質の使用が腸内細菌叢の攪乱を招く結果、食物アレルギーの遠因となるとの事ですが、

これが正しいとするならば、将来的には、食物アレルギーやセリアック病の患者も移植の対象となるかも知れません。

最近では「自閉症」患者と抗生物質による腸内細菌叢の攪乱との関係を指摘する向きもありますので、

事によると自閉症も対象に加えられるかも知れません。

 

一方で、今後研究が進むにつれ、糞便移植の問題点も明らかとなってくるに違い有りません。

例えば、Aさんの糞便はBさんには確かに効果があったが、Cさんに対しては無効~あるいは有害な作用を及ぼした、などといった事です。

また、短期的には効果があったが、数年後には元に戻った、などといった事もあるかも知れません。

さらに、移植された腸内細菌叢を全体として維持するためにはどのような食品が良く、どのような生活習慣を送るべきなのか、

などといった事も研究の対象となってくるに違いありません。

 

今後さらに研究が進展する事によって、

これまで衛生仮説や旧友仮説で述べられてきた事を、腸内細菌の研究から裏打ちできるようになるかも知れません。

腸内細菌叢と腸管免疫の関係


腸内細菌が全く存在しない「無菌マウス」を用いた多くの実験から、腸内細菌と腸管免疫の密接な関係が明らかとなってきました。

腸内細菌叢が腸管内で果たしている役割の重要性を考えると、無菌マウスは不健康かつ短命であると思われるかも知れませんが、

実はそうではありません。

意外に思われるかも知れませんが、

無菌マウスは無菌状態で飼われている限り、健康に異常を来す事もなく、通常のマウスに比べてむしろ長生きします。

しかしながら、無菌マウスを無菌環境から普通の環境に置くと、通常のマウスに比べて今度は反対に死亡率が高くなります。

免疫系が発達していないため、病原菌などに遭遇した場合、その数が極々わずかであっても、たちまち感染して死んでしまうためです。

 

無菌マウスを解剖してみると、腸の壁は薄く、パイエル板が見あたりません。

また、盲腸が水ぶくれして異常に大きい事に気がつきます。

つまり、腸管の粘膜層も免疫システムも、腸内細菌が存在するからこそ発達~成熟するのです。

無菌マウスの盲腸が水ぶくれしたかのように異常に大きい理由は、

腸内細菌が存在しないために餌の中の水溶性食物繊維が消化されず、水分を含んだまま盲腸内に滞留するためです。

このような無菌マウスに何種類かのクロストリジウム属の菌を与えてやると、盲腸の水ぶくれが解消し、正常な大きさにまで回復します。

腸管内に定着したクロストリジウム属の菌が、餌の中の食物繊維を消化したためです。

 

定着したクロストリジウム属の菌は、食物繊維を消化して、酪酸を主体とする短鎖脂肪酸を産生します。

酪酸は腸管上皮細胞から吸収され、腸管上皮細胞のエネルギー源となります。

その結果、粘膜層も健常化し、腸の壁も厚みを増します。

粘膜層の健常化には、酪酸や酢酸、プロピオン酸などの短鎖脂肪酸が大きく影響すると考えられていますが、

短鎖脂肪酸は、クロストリジウム属以外にも、ビフィズス菌やバクテロイデス属の菌が多く産生する事が知られています。

 

腸管の免疫装置の代表として、パイエル板があげられます。

パイエル板は腸管内の細菌などの異物を取り込む事によって、パイエル板中心部のリンパ球を刺激し、数を増やし、成熟を促します。

成熟したリンパ球は血流やリンパ流に乗って体全体を移動しますが、多くは再び腸管粘膜に舞い戻ります。

腸内細菌を欠く無菌マウスではリンパ球に刺激を与える事ができないので、数も増えず、成熟する事もできません。

 

腸管粘膜の上皮細胞は、基底膜側に多くのトールライクレセプター(TLR)を発現しています。

TLRが管腔側にあると腸内細菌によってしょっちゅう刺激されて「仕事にならない」ので、反対側にあると考えられています。

これらのTLRが腸内細菌の菌体断片やDNAの切れ端などによって刺激されると、上皮細胞はサイトカインを放出し、

ただならぬ事態が発生しつつある事を周囲に知らせます。

すると、粘膜固有層などにいる自然リンパ球が真っ先に反応し、

サイトカインやケモカイン(サイトカインの一種で、免疫細胞の遊走を促す物質)を放出します。

これらのサイトカインに反応して、パネート細胞が抗菌ペプチドを放出したり、あるいは上皮細胞は細胞間隙を密にするなど、

防衛の初動体制がとられます。

無菌マウスでは、このような自然免疫系による反応も未熟です。

 

Tリンパ球は、キラーT細胞、Th1Th2Th17Tregなどに分類できますが、

腸管粘膜にはTh17Treg細胞が多く存在しています。

Th17細胞は細菌やウイルス、寄生虫などの進入に対して

炎症を惹起する事によって防御的に働く細胞で、

Treg細胞は過剰な炎症反応を抑制する働きをする細胞です。

両者はTh1細胞とTh2細胞のように、バランスを保ちながら腸管の恒常性の維持に貢献しています。

最近では、Th17細胞やTreg細胞の分化~成熟にも、

腸内細菌が大きく関わっている事が分かってきました。

 

マウスの腸管には、セグメント細菌(Segmented filamentous bacteria)と呼ばれる多くの分節を持つ「ひも状」の細菌が

数多く住み着いています。

この菌はクロストリジウム科に属する細菌で、これまで培養が不可能な菌でしたが、2015年に「培養成功!」の報告がありました。

この菌は粘膜の吸収上皮細胞に頭を突っ込んだような形で存在しますが、マウスには、腸管にこの菌がいる系統といない系統があります。

両者の腸管免疫細胞を調べると、

セグメント細菌がいる系統のマウスにのみTh17細胞が存在し、いない系統にはTh17細胞が存在しない事が分かりました。

つまり、Th17細胞の分化にはセグメント細菌の存在が必須である、という事です。

一方、ヒトにおいては、マウスのセグメント細菌に相当する菌はいまだ見つかっていません。

 

Treg細胞の分化には、クロストリジウム属の菌が大きく関わっている事が分かってきました。

特に酪酸を産生するタイプの菌に反応して分化する事から、Treg細胞の分化~成熟には酪酸が大きく関与する事が明らかになりました。

酪酸は粘膜上皮の健常性にも大きく関与する物質ですので、腸内環境の健康を維持するためには必要不可欠な物質と見なされます。

 

無菌マウスに乳酸菌の加熱死菌体を投与し、IgA抗体の産生を調べた実験が報告されています。

その結果、加熱死菌体の投与によって無菌マウスのIgA抗体の産生量が投与数依存的に有意に増加する事が分かりました。

死菌体ですから腸管で増殖する事はありませんが、腸管免疫系は生菌~死菌を問わず反応する事を証明する実験です

(第16回 日本統合医療学会)。

腸内環境改善機能を持つ食物成分


腸内環境に影響を与える食物中の機能性物質としては、食物繊維が真っ先に上げられます。

食物繊維は基本的には「食物由来の繊維状物質のうち、ヒトの消化液で消化されないもの」と定義され、セルロースやリグニンなどが代表的です。

牛や馬などの草食動物やシロアリなどはこれらの食物繊維を消化できますが、

それは彼らの消化管の中にこれらの繊維を分解できる微生物が住み着いているからです。

ヒトの消化管にはそのような微生物は居ませんので、これらの食物繊維はそのまま便として排泄されます。

食物繊維は水分を保持する性質がありますので、大腸内容物の量も増え、

管腔内を通過する際に腸管壁を刺激する事で腸管の蠕動運動を促し、正常な排便に至ります。

その結果、内容物は大腸内での滞留時間が短くなり、腐敗産物による害毒の可能性も低くなります。

 

一方、食物繊維にはリンゴに含まれるペクチンや菊芋に含まれるイヌリンのような水溶性のものもあります。

これら水溶性の食物繊維もヒトの小腸で消化吸収されませんが、大腸に到達後に腸内細菌によって消化されます。

「ヒトの小腸では消化吸収されないが大腸の腸内細菌によって消化される」物質には、

ペクチンやイヌリンの他に、難消化性デンプンオリゴ糖などがあります。

難消化性デンプンは芋や豆などに多く含まれています。

オリゴ糖にはいくつかの種類がありますが、大豆には大豆オリゴ糖が、ゴボウやニンニク、アスパラガスなどにはフラクトオリゴ糖が含まれています。

 

腸内管腔を覆う粘膜表面は一層の吸収上皮細胞で構成されているため、脆弱です。

一方で、このような脆弱性を補うための様々な工夫が施されています。

 

例えば、外部からの侵入を試みる異物を排除するために、

吸収上皮細胞は隙間無くスクラムを組み、粘膜表面を密に覆って、一種のバリヤーを形成しています。

吸収上皮細胞の健常性が失われ、細胞間の接触面が緩んで隙間が拡大すると、粘膜のバリヤー機能も破綻して、

食物由来のアレルゲンタンパクや腸内細菌由来のLPS毒素が管腔内から流れ込み、体に様々な害を及ぼします。

いわゆる腸もれ、英語でLeaky Gut(リーキーガット)と呼ばれる状態です。

このような吸収上皮細胞の健常性を維持するために、腸内細菌、水溶性食物繊維、難消化性デンプン、

そしてオリゴ糖による共同作業が大変重要な役割を果たしている事が分かって来ました。

短鎖脂肪酸と腸内細菌のお話


「脂肪」とは、消化吸収されてエネルギーとして働く栄養素のうち、水に不溶の物質を示す言葉で、「中性脂肪」が代表的です。

中性脂肪とは3分子の脂肪酸が1分子のグリセロール(グリセリン)とエステル結合を介して結合した物質で、

結合によって脂肪酸の「酸」が中和され、pHが中性を示すようになる事から名付けられました。

食物中に最も普通に存在する脂肪で、「トリグリセリド」とも呼ばれます。

 

中性脂肪を構成する脂肪酸には多くの種類があり、分子中の炭素の数や二重結合の有無~その位置や数などで分類されます。

二重結合の無いものが「飽和脂肪酸」、あるものが「不飽和脂肪酸」で、

n-3系とかω(オメガ)6系とかいうのは二重結合の位置を示す言葉です。

 

炭素の数で分類したものが短鎖脂肪酸、中鎖脂肪酸、長鎖脂肪酸と呼ばれるものです。

炭素数はそれぞれ6個以下、612個、それ以上、と分類されます。

 

短鎖脂肪酸には、分子量の小さい順に酢酸、プロピオン酸、酪酸、乳酸、吉草酸、カプロン酸、コハク酸などがあります。

中鎖脂肪酸には、炭素数が8個のカプリル酸と10個のカプリン酸があります。

ヤシ油やパーム油などに多く含まれますが、牛乳や母乳にも含まれています。

最近では「体脂肪になりづらい脂肪」としてヤシ油やパーム油が一種の流行になっています。

長鎖脂肪酸はその他の大部分の脂肪酸を指し、パルミチン酸やステアリン酸、リノール酸やリノレン酸など、食物中で最もありふれた脂肪酸です。

長鎖脂肪酸は体内に吸収された後に「β-酸化」と呼ばれる代謝によって大きなエネルギーを産生するため、

「太りやすい脂肪酸」と目されています。

 

短鎖脂肪酸は、酢酸である「お酢」、ヨーグルトの酸っぱさのもとである「乳酸」、貝類の「うまみ」の主体である「コハク酸」など、

日常的にも食物から摂取されますが、

酪酸や吉草酸、カプロン酸などのように悪臭を持つものも多く、

これらは当然ながら食物から積極的に摂取される事はありません。

 

最近、腸内細菌が腸内で作り出す短鎖脂肪酸に注目が集まっています。

数多い腸内細菌の中で短鎖脂肪酸を産生する菌の代表が、ビフィズス菌と酪酸菌です。

最近ではバクテロイデス属の菌のなかにも短鎖脂肪酸を産生する菌がいる事が明らかになってきました。

 

デンプンは通常ヒトの消化酵素で消化されますが、デンプンの中には難消化性デンプンと呼ばれる消化されづらいタイプのものがあります。

また、単糖が数個連なったオリゴ糖も、消化酵素で消化されづらいものの代表です。

さらに、イヌリンペクチンのような水溶性食物繊維も、消化酵素で消化困難な物質の一つです。

これらの物質はヒトの小腸では殆ど消化されず、そのまま大腸へと移行します。

セルロースやリグニンなどの不溶性の食物繊維は大腸の腸内細菌も利用できませんが、

難消化性デンプンやオリゴ糖、水溶性食物繊維は、

大腸の酪酸菌などのクロストリジウム属の菌やビフィズス菌、バクテロイデス属の菌によってエネルギー源として利用されます。

その結果、短鎖脂肪酸が生じます。

 

これらの短鎖脂肪酸は腸管粘膜の吸収上皮細胞から吸収され、ヒトのエネルギー源として消費されますが、

一部は上皮細胞自身のエネルギー源として利用されます。

その結果、細胞の健常性が確保され、腸管粘膜バリアーが密に維持される事が分かって来ました。

特に酪酸の効果は大きく、吸収上皮細胞の健常性を維持するのみならず、

試験管レベルでの実験では、ガン細胞に対してアポトーシスと呼ばれる「自死行動」を引き起こす事も分かってきました。

 

腸内細菌によって産生される酢酸は、腸管粘膜を弱酸性に保つ事によって腸管環境の健常性の維持に働きますが、

体内に吸収された後はエネルギー源となるだけでなく、脂肪細胞に働きかけて「レプチン」などの食欲抑制ホルモンの分泌を促す働きをする、

との報告もあります。

これが本当ならば、昔から言われてきたお酢の痩身効果は正しいのかも知れません。

ただし、お酢を直接飲む場合、酢酸は小腸で吸収されて大腸には到達しませんので、痩身効果は得られても、

腸管環境の健全化にはあまり役に立たないと思います。

 

酪酸を産生する「酪酸菌」はクロストリジウム・ブチリカムと呼ばれる菌に属しますが、最近、

腸管のクロストリジウム属の菌が産生する酪酸が制御性T細胞(Treg)の分化を促すなど、

酪酸が腸管免疫系にも大きな影響を与えている事が分かってきました。

また、腸管粘膜の表層は常に粘液で覆われていますが、

粘液層にはビフィズス菌などの善玉菌がIgA抗体によって積極的に保持されている事も分かってきました。

粘液中のビフィズス菌がオリゴ糖などを消化して短鎖脂肪酸を分泌すると粘液層が酸性化され、pHが低下します。

その結果、酸性の環境に弱い悪玉菌が粘液層で増殖を阻害される効果が期待されます。 

 

 

このような難消化性デンプンやオリゴ糖、水溶性食物繊維は、芋類や豆類、ネギ類などに多い事が分かっています。

ビフィズス菌や酪酸菌はガス産生菌の代表として知られていますが、

実際、芋や豆をたくさん食べるとガスが出がちになるのは多くのヒトが経験されている事と思います。

そのときは「あ、腸内細菌が活性化している!」と思って下さい。

腸内細菌に関する参考文献

 

 ●腸内細菌の世界 光岡知足 1980 叢文社

 ●腸内フローラと健康 光岡知足編 1998 学会出版センター

 ●腸内フローラと生体防御  光岡知足編 1982 学会出版センター

 ●腸内フローラの代謝 光岡知足編 1988 学会出版センター

 ●腸内フローラと成人病  光岡知足編 1985 学会出版センター

 ●腸内フローラとプロバイオティクス  光岡光岡知足編 1998 学会出版センター

 ●21世紀腸内フローラ研究の新しい動向  光岡知足編 2002 学会出版センター

 ●医学の歩み-プロバイオティクス Vol.207 2003 医歯薬出版

 ●実験医学-常在細菌叢が操るヒトの健康と疾患 大野博司編 2014 羊土社

 ●実験医学-腸内細菌を制御せよ! Vol.34 2016 羊土社

 ●腸内フローラ10の真実 NHKスペシャル取材班 2015 主婦と生活社

 ●失われてゆく我々の内なる細菌 マーティン・J・ブレイザー 2015 みすず書房

 ●健康食品のすべて 田中平三等監訳 2006 同文書院

 ●健康食品・サプリメントのすべて 日本医師会 2011 同文書院 

 ●健康食品全書 長坂達夫編 ブレーン出版