麹菌のパワー

 

カビ、アジア、発酵食品


現在のASEAN諸国一帯から

ネパール~中国雲南省~日本に到るアジア地域には

各地域に根ざした様々な発酵食文化が見られますが、

これらのアジア発酵食文化圏の特徴の一つに

カビを用いて作る発酵食品の存在があります。

 

その一つがインドネシアのテンペです。

テンペは蒸した大豆をバナナの葉で包んで発酵させたもので、

独特の風味と食感があります。

最近では日本でも作られるようになってきましたが、

バナナの葉に元々付着していた乳酸菌と酵母、そして

カビを利用して作るのが本来の作り方です。

テンペから主に分離されるカビはクモノスカビの一種で、

リゾプス・オリゴスポラス(Rhizopus oligosporus

と呼ばれる種類に属します。 

 

変わり種としては、沖縄の「豆腐よう」があります。

豆腐ように使われるカビは紅麹菌(べにこうじきん)というカビで、

モナスカス・パープレウス(Monascus purpureus

と呼ばれる種類に属します。

沖縄豆腐を泡盛と食塩と紅麹の漬け汁に漬けて

長期間発酵させて作ったものが豆腐ようですが、

紅麹菌はその名の通り赤い色素を出すので、

豆腐ようは色鮮やかな赤色となります。

完成すると、豆腐は身が締まって、あたかも

上質のチーズのような風味と食感に変化します 

 

 

 

 

このように、湿潤アジア圏では発酵食品を作るときにカビが活躍しますが、

通常は麹(こうじ)として、お酒や味噌の原料の一つとして用いるのが普通です。

麹とは、米や麦、大豆などの穀物にカビを繁殖させ、その後に乾燥させて取り扱い易くさせたもので、

麹を作るのに用いるカビの事を麹菌、あるいは麹カビと呼びます。

 

麹の使用目的は、麹菌が作り出す強力な酵素を食品発酵のために利用する事にあります。

多くの種類のカビが様々な種類の酵素を産生しますが、麹菌として用いられるカビは食品発酵のために用いられるのが殆どですので、

強力なタンパク分解酵素やデンプン分解酵素を産生する種類が選択的に用いられます。

 

我が国の味噌や醤油、日本酒などで用いられる麹菌は、その多くがアスペルギルスと呼ばれる種類に分類されます。

日本酒や味噌の製造ではアスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、醤油製造ではアスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、

南九州での焼酎製造にはアスペルギルス・ルチュエンシス(Aspergillus luchuensis)、

沖縄の泡盛製造にはアスペルギルス・アワモリ(Aspergillus awamori)などが使われます。

 

カビの中には毒性の強い物質を産生する種類がありますが、

麹菌は食品発酵の原料として使われますので、このようなカビ毒を分泌する種類はありません。

 

カビ毒の代表としてアフラトキシンがあります。

アフラトキシンは管理の悪い状況下で保管されていた穀物やナッツ類などに生えるカビによって

作り出される毒素で、非常に強力な発ガン性を持っています。

現在でも、特に発展途上国などにおいて、

アフラトキシンによって汚染された穀類やナッツによる健康被害がしばしば報告されています。

 

面白い事に、

アフラトキシンを作り出すカビと日本で用いられている麹菌とは

非常に近縁の種類である事が分かって来ました。

その結果、一時期、麹菌にもカビ毒の疑いがかけられたのですが、その後の詳細な調査により、

日本で用いられる麹菌は完全に安全で、アフラトキシンを全く産生しない事が証明されています。 

麹菌とお酒


お酒を大別すると、醸造酒と蒸留酒に分ける事ができます

前者には、日本酒、ビール、ワイン、紹興酒などが含まれ、

後者には、焼酎、ウイスキー、ブランデー、白酒などが含まれます

蒸留酒は醸造酒からアルコール分を抽出したものですので、

基本的には全てのお酒は醸造酒から造られます。

 

醸造酒は、米や麦、ブドウなどに含まれるデンプンや糖分を

酵母がアルコール(エタノール)に転換して作られる酒の事です

酵母はショ糖やブドウ糖を利用してアルコール発酵を行いますが、

ワイン製造の場合、

ブドウの絞り汁の中にはすでに多くの糖分があるので、

酵母は糖分をそのまま利用してアルコールを作ります

 

一方お米や麦にはショ糖やブドウ糖は少ないかわりに

デンプンが豊富です

デンプン

ブドウ糖がアルファー結合によって連なった巨大分子ですが、

酵母はこれを直接利用する事ができません

何らかの方法で、より低分子であるショ糖やブドウ糖などに転換する必要があります。

ビールを造る場合は、麦芽(ばくが:発芽大麦)に含まれる酵素を用いて麦粒のデンプンを酵素分解します

一方、日本酒の場合は麹菌を利用します。

麹菌が作り出す酵素がお米のデンプンをブドウ糖に分解し、これを酵母が利用してアルコールに変えます。 

 

麹菌のようなカビによってタンパク質やデンプンなどの巨大分子を低分子にまで分解し、

これに他の微生物の力も借りて発酵食物を作り出すという技術は湿潤アジア文化圏に広く見られる伝統的食文化の一つですが、

中近東~北アフリカ~欧州にかけての地域では殆ど見られません。

多湿な風土と乾燥した風土の違いによる差であると考えられています。

 

  雨期のアジアモンスーン地帯                                                アラブベドウインの民 

 

鹿児島や沖縄で作られる焼酎や泡盛には、

黒麹菌と呼ばれるカビを用います。

黒麹菌はアスペルギルス・アワモリ(Aspergillus awamori)や

アスペルギルス・ルチュエンシス(Aspergillus luchuensis

などに分類されるカビで、

黒い色素と同時に多くのクエン酸を作り出すのが特徴です。

 

日本酒は雑菌汚染を防ぐために

冬の寒い時期に仕込むのが本来的な作り方ですが、

鹿児島や沖縄は気候が暑いので雑菌に汚染されやすく、そのため日本酒造りには向いていません。

黒麹菌を用いるとクエン酸の殺菌力のおかげで雑菌汚染を防止する事ができますので、南日本でも醸造が可能となります。

そのままでは酸っぱいので、蒸留して焼酎にする、というわけです。

現在では、黒麹菌から分離された白麹菌も焼酎造りによく使われています。 

麹菌と味噌


アジアの食文化において醸造発酵に深く関わっているのが、麹です。

麹にはデンプン分解酵素やタンパク分解酵素などが

豊富に含まれていますので、これを利用して日本では

お酒や醤油、甘酒など、

様々な発酵食が作られてきました。

その中でも代表的なものが、味噌です。

日本の味噌造りで用いられる麹の大部分は

アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae

と呼ばれる種類の麹菌で作られます。

 

日本全国の味噌を分類する場合、しばしば米味噌~麦味噌~豆味噌などという言葉を用いますが、

これは使用する麹の種類によって区別した分類法です。

味噌は蒸した大豆に麹と塩を加えて作りますが、このときに使用される麹の種類によってその後の風味が大きく異なります。

 

米麹を使うのが米味噌です。米麹は、蒸したお米に麹菌を接種して作られる麹です。

米味噌は信州味噌に代表される塩分の比較的強い味噌で、全国的に最も一般的に使われている味噌といえます。

麦味噌というのは麦麹を用い、九州地方でよく見られる味噌です。

愛知県で作られる味噌の代表が八丁味噌で、これは大豆麹で作る豆味噌です。

大豆と塩のみで作りますので、熟成後は色が非常に濃くなり、味も濃厚で、いわゆる赤味噌として知られています。

名古屋名物の味噌カツなど、名古屋地方の食文化を彩る食材の一つとなっています。

京都でよく見られる味噌が白味噌で、これは米麹の量が多く、大豆や塩分量が少ない味噌です。

米麹の量が多いと甘みが増しますので、京味噌に代表される白味噌は甘味噌としても知られています。

 

味噌の持つ機能性は、

その多くが大豆を麹菌が発酵して生じるものです。

大豆にはアレルゲンが存在するので、

大豆アレルギーのヒトには要注意な食材です。

しかしながら、大豆アレルゲンはタンパク質でできているので、

味噌の熟成期間中に麹菌のタンパク分解酵素によって

分解されてしまいます。

 

また、大豆のイソフラボンは生大豆中では配糖体として存在するため吸収が悪いのですが、

味噌の熟成中に麹菌の酵素によってイソフラボン分子から糖が外れ、吸収の良いアグリコンタイプとなります。

これらの変化を受けたイソフラボン化合物は機能性を増強し、抗酸化能や抗変異原性などが増えるといわれています。

 

広島と長崎の原爆では多くの人命が失われたのみならず、

白血病患者の急激な増加など、

放射線による多くの健康被害が報告されました。

当時、長崎のお医者さん達によって、

味噌汁を毎日飲んでいると放射能による健康被害が少ない、

という経験説が唱えられました。

その後、広島大学の先生達によって、

味噌の摂取による放射線被害抑制の研究が本格的に開始されました。チェルノブイリ原発事故のときには欧州各国でこの話が広まり、

日本から大量に味噌を輸入したという事です。

  

 

麹菌の機能性


麹菌はデンプンやタンパク質などを分解する酵素を作り出す

有用微生物としてのとらえ方が一般的でしたが、

近年、麹菌は代謝活動を通して

様々な機能性物質を生み出す事が分かってきました。

 

麹菌が生み出す物質として有名なものの一つが「コウジ酸」です。

コウジ酸にはメラニン色素の産生を抑制する作用があり、

化粧品などにも多く利用されています。

 

 

日本酒に含まれる「エチルαD-グルコシド」と呼ばれる物質も麹菌によって作り出される物質で、

紫外線によるお肌のダメージを抑制する作用があるといわれてます。

日本酒を飲んでいると肌が綺麗になると昔からいわれますが、この物質の作用によるものかも知れません。

 

豆味噌で用いられる大豆麹からは様々なイソフラボン化合物が検出されますが、

その大部分は麹菌の作用によって糖が外れたダイゼインやゲニステインと呼ばれるイソフラボンです。

 

大豆麹乳酸菌発酵液では大豆粉の水溶液に麹菌を接種して培養する「液体大豆麹」を用いますが、

このとき、培養日数に伴って抗酸化能が急上昇します。

研究の結果、ダイゼインが麹菌によってさらに代謝を受けて生じる 

8-ヒドロキシダイゼイン(8-hydroxydaidzeinと呼ばれる

イソフラボンによるものである事が分かってきました。

 

8-ヒドロキシダイゼインは、ビタミンCやビタミンEに匹敵する抗酸化活性を有するのみならず、

強力なメラニン色素産生抑制能がある事も分かってきました

 

どうやら麹菌を用いた産物には押し並べて「美肌効果」が期待できそうです。 

麹、酒、味噌に関する参考文献

 

  ●麹学 村上英也編 1986 日本醸造協会

  ●麹カビと麹の話 小泉武夫 1984 光琳

  ●カビと酵母 小崎道雄編 2007 八坂書房

  ●カビへの招待 中野政弘 1990 研成社

  ●やさしい醸造学 井上喬 1997 (株)工業調査会

  ●醸造物の機能性 北本勝ひこ編 2007(財)日本醸造協会

  ●醸造物の成分 1999 (財)日本醸造協会

  ●発酵・醸造食品の技術と機能性 北本勝ひこ監修 2011 シーエムシー出版

  ●食品と微生物 児玉徹監修 2008 光琳

  ●発酵食品への招待 一島英治 1989 裳華房

  ●酒と熟成の化学 北條正司、能勢晶共著 2009 光琳

  ●みそ文化誌 2001 全国味噌工業共同組合連合会

  ●味噌 今井誠一 2002 農文協

  ●老化予防食品の開発 吉川敏一監修 1999 シーエムシー出版

  ●ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/テンペ

   ●ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/豆腐よう